序 論

写真01 上のとびらの写真は、名古屋造兵廠で造られたものですが、元の写真は左のいただき写真です。 名古屋が右で左が小倉です。名古屋のリアバンドの方が99式のようなタナカのモデルガンと同じ形式です。

この、世にも珍しい九七式狙撃銃を2個も持っているなんて超っ!驚きですが、この二つの違いなどをメインに 鉄オタさんの解説によりお届けいたします。


二つの造兵廠

名古屋造兵廠 写真02 名古屋マーク
小倉造兵廠 写真03 小倉マーク

今回ご提供いただいた写真には名古屋造兵廠製と小倉造兵廠製があります。この2ヶ所でしか作られなかったようです。 名古屋って4つも造兵廠があったのですね、ビックリです。小倉には一つしかありません。地図の縮尺は合わせています。

小倉のマークは、もともとは東京砲兵工廠のマークです。関東大震災で大きな被害を受けたので、閉鎖して小倉へ移転してきたもので マークは東京のままです。東京の造兵廠の跡地はその後、後楽園球場になり、現在は東京ドームが建っています。

写真40 ご存じのように小倉造兵廠は2発目の原爆の目標とされましたが、当日が曇りだったため長崎に落とされました。

よって今では長崎の犠牲者を慰霊し、平和を願って長崎の鐘の複製と慰霊碑が設置されています。


全体詳細画像

上が名古屋、下が小倉です。

写真28 写真29 写真30 写真31

ベースとなった三八式は名古屋製に於いては最後期の生産分であり、小倉製のものは安全子の形状より「ウ」シリーズ #75,xxx以降と特定出来ます。


写真32 写真33 写真34 写真35
写真36 写真37 写真38 写真39

では各部詳細について鉄オタさんの解説とともにみていきましょう。


ベースとなった三八式の製造所による差違

照 星

写真04 上の名古屋製の照星座はピンをカシメ固定したあと、照星座とツライチに切削してあります。一般的に保護鉄の幅は狭く 「ゼロ」シリーズは、保護鉄の無いタイプでありますが、それは九七式には存在しません。

下は小倉製です。同じくカシメ固定ですが、両端は半球状に隆起しています。一般的に保護鉄の幅は広いです。 「ネ」シリーズ#48,xxx以前は保護鉄の無いタイプでありますが、それは九七式には存在しません。 尚、保護鉄付の三八式の照星と九七式のそれは同一です。


照 門

写真05
下左の名古屋製はピープサイトで、目盛りは 2,200mであり、目当て部分は名古屋後期製造分で多見される三角形(画像左上) では無く、後の九九式に類似した半円状です。この形状(画像右上)は最後期の形態でして、三八式 「ク」シリーズ終末以降から採用されているもので、九七式特有のものではありません。

また、目盛りは 2,200mに変更されていると言うことは、使用弾薬の変更(減装薬)を意味していると思われます。 これは、九七式狙撃銃が減装薬を使用していたとの説に合致していますが、小倉製は 2,400mのままですので それでは理由が説明出来ません。

仮説ですが、小倉製は通常量装薬を使用が前提で、名古屋は減装薬を用いていたのかもしれません。 名古屋での九七式製造は、「ク」シリーズ終末以降 製造分の三八式の中で、命中精度の高い個体がピックアップされ 九七式として完成され、その他は38式歩兵銃として「ク」シリーズ終末分と「ヤ」シリーズに振り分けられた 或いは、この期間中は九七式を製造する目的でのみで製造され、“B品”は三八式に転用されたとのではないでしょうか?

その証左としてこの照門を備えた三八式は6,000挺未満、一方九七式は14,500挺である事が挙げられます。 上写真の下右は、小倉製のリアサイトですが、東京・小倉製造分と同様に Vノッチで目盛りは38式と同じく 2,400m のままです。


下 帯

名古屋

写真06 三八式に単脚を装着するプランは立ち消えとなりましたが、九七式にはそれが生かされ、その結果として 九七式固有の装備となっています。

名古屋製の下帯の前後幅は広く、単脚を装着する突起を備えています。銃床にはネジで固定されています。 (※供覧した個体は比較的後期に製造され単脚取り付け穴はオミットされています)

形状的には九九式小銃のそれと差違は認められません。
(↓参考画像:下帯99式・東洋工業(現:マツダ)、下帯99式・名古屋製)

写真07 写真08

小 倉

写真09 小倉製の下帯は通常の三八式の下帯に単脚を装着する突起を追加した形状であり、三八式と同様下帯バネで固定されています。

固定の確実さはポジテイブとは言えず、長期使用にてグラツキが起きることが容易に想像されます。


床尾負革止

写真10 写真11 写真左の名古屋製は、三八式「ゼロ」〜「ク」シリーズ迄一貫して丸みを帯びた切削加工品であり、それと同一です。

写真右の小倉製は、三八式「ム」シリーズ#38,xxx以前の切削加工製ではなく、それ以降の角張ったプレス製となっています。


床尾板

写真12 名古屋製の初期のものは、鍛造製フラット品ですが、ここに紹介の九七式は「オ」シリーズ以降のプレス製と同一で 画像Cのようにカップ型です。

小倉製は、ほぼ全製造期間を通じ鍛造製フラットであり、ここに紹介の九七式も同一品です(画像A)。 「ラ」「ム」シリーズの極一部のみに見られる絞りの浅いプレス製(画像B)は九七式には存在しません。


九七式固有の製造所による差違

マウントベース

名古屋製

写真14 写真15 写真16

写真13 マウントベースを装着する為に尾筒とマウントベースがズレなく密着するように切削されていますが 名古屋製と小倉製の間にはその加工法に大きな差違がみられます。

名古屋製は、マウントベースを固定するネジ山数を稼ぐために、尾筒は長軸方向中央部を帯状に削り残してあり それに対応する様にマウントベースに溝を切削し充分なネジ山数を稼いでいます。


小倉製

写真17 写真18 写真19

写真20 小倉製のマウントベースは、円筒は単純にフラットに切削してあり、センター部では充分なネジ山数が稼げない ため、その解決法としてネジ穴をセンターの上下に振り分け
千鳥型配置としています。

右画像は小倉製のマウントベースです。
(ネットより画像を転載)


型式表示刻印

写真21
右:名古屋製、左:小倉製。 一見してフォントに大きな差違が認められます。

その他

狙撃眼鏡

  • 写真23 眼鏡固定用クランクの上方に、装着する銃の固有番号が彫られています。

    名古屋製造分に対応する眼鏡は○イから始まる番号、小倉はシリーズ無しなので番号のみが見られます。

  • 写真22 眼鏡自体の固有番号は接眼部上面に彫られています。 左写真の刻印の上段は「2.5×」 倍率、「10」 画角です。 中段は、製造所ロゴ
    下段は、眼鏡固有番号です。

    注意点としては、九九式用にも2.5倍眼鏡が存在することです。
    九七式用との鑑別点は、眼鏡の固有番号の前に 99と彫られています。左画像の 2.5x 狙撃眼鏡・赤枠内参照です。

  • 写真24 九九式の 7.7mm弾は偏流を殆ど生じない為、右写真のようにレチクルの水平線と垂直線は直交しています。

  • 銃固有番号はマウントに接するスライド面に打刻されています
    (名古屋対応分、小倉は未確認)。


  • 眼鏡収容筐

    写真25 写真26 写真27

    マウントベース取り付け部が収まる突出が直方体のもの、下部が斜めに削がれたもの、の2種類が確認出来ます。

    また素材が皮革と帆布の2種類が存在します。
    皮革製は、直方体のみ存在し、帆布製は両方が存在します。皮革製は、初期の製品である事は明らかですが、 帆布製直方体が斜めのものと比較して、早期に製造されたものなのか、製造年のスタンプを確認する限り、一定 の傾向は見られません。筐の製造所の特徴ではないかと推定しています。


    以上、鉄オタ様 の解説終わり
    以下maimai 記述

    おまけ・参考WEB

    写真41 上記英語のページには、「 スコープが横に取り付けられていることを補正するために垂直線はわずかに傾いています。 」 と、書かれています。実際のところは判りませんが、九九式でも横に付いているのにスコープ線は垂直に改められているので、 鉄オタさんの言うところの使用弾薬の違いが主要因ではないかとmaimai も思います。

    おまけ・参考ビデオ

    写真42 こちらの実射ビデオでは、スコープの左右の調節が出来ないことを大きく問題視されているようです。 また、このビデオでは、日本軍の運用にも言及されています。樹上でこの銃を持って敵を待っているということは、そのあとの 結果がほぼ想像できます。発見され滅多撃ちで殺されたことでしょう。軍隊で狙撃銃を担当させられたら、もう結末が見えそうでビビるしかありません。

    おわりに

    写真43
    上写真は合成なので参考にしないように

    鉄オタさまからたくさん鮮明な写真をいただき、ページを書かせていただきました。
    有難うございました。解説も鉄オタ様の解説文を、ですます調に書き直しただけですので
    考察内容は鉄オタさんのものです。 もしかしたらその主張に、異論をお持ちの方もいるかもしれません。もしもなにか情報が ありましたら、ぜひ maimai までご意見をお待ちしております。


    鉄オタ様、貴重な写真をいただき有難うございました。