序 論

写真01 左はネットから拾ってきたものですが、2次大戦中の日本軍の主要小銃一覧です。このうち上から3個が 6.5o 弾薬を 使用する一般的なもので、それより下は1939年に制式化された 7.7 mm 口径の九九式小銃です(下の方の97式狙撃銃は 6.5mmです)。

一番上の38式歩兵銃は1905年(明治38年)に開発され、ほぼ同時に2番目の38式騎兵銃が作られました。 当時の世界の軍用ライフル情勢では、長い銃身の小銃とそれを短くした騎兵銃とがワンペアのセットで当たり前の構成でした。

しかし日本の騎兵さんは軍刀も持ち歩いたようで、銃剣も持たなくてはならず、たいへんなのでいっそ銃剣と ライフルを一体型にしてみたらと造られたものが上から3番目の44式騎銃です。 38式騎兵銃と違ってクリーニングロッド格納する部分に銃剣が収められているので ロッドは分割式となりストックの中に納められました。銃剣以外は38式騎兵銃と同じ作りでした。



プロトタイプ

写真02 ネット検索していたらチェコ語のページに珍しいプロトタイプが載っていましたので紹介しておきます。 この写真を見ると当初は、銃剣部分も簡単な構造だったようです。母体は38式騎兵銃です。
写真03 写真04

同じWEB 上の写真ですが、上から1型、2型、3型、プロトとなります。 どんどん銃剣基部の補強が丈夫になっていった事が分かります。

2型以降はフローチングバレルになっています。これは1型で銃剣をたたんだ時と伸ばした時とで 着弾が大いに変わったことで改良を強いられたためです。フローチングバレルは、銃身がストックに触れていなくて 外部の影響がないように作られています。しかし銃身とストックの間に水がたまったりするので 2型以降はストックの下側に水抜きの穴が設けられました。


ストックの水抜き穴

写真10 1型の断面図。穴はありません。

写真11 モデルガンでは再現されていないのですが、四四騎兵銃の2型、3型にはストックに水抜き穴が存在しています。 上の図では3穴存在します。


1型は穴が無い

写真09 写真はネットから取ってきたものですが、1型のストックには水抜きの穴がありません。 このストックは390ドルで売れたようです。

2型、3型の水抜き穴

写真05 写真06

写真07 写真08 資料をいただいた鉄オタ さんは、1型、2型ではなく東京型、小倉型などと分類しています。 東京型とは、もともと軍用銃を製造していた東京砲兵工廠が関東大震災で被害を受けたため 設備を北九州市小倉北区(現在の呼び名)にあった小倉造兵廠へと製造を移管したものです。刻印マークは 東京のままが使用されました。

分類 鉄オタ さん分類 特 徴
1型 A.制式型 (いわゆる初期型、東京製) ホール無し
2型 B.制式改正一型(いわゆる中期型、小倉製) ホール3個
3型 C.制式改正二型(いわゆる後期型) 小倉製 ホール3個
名古屋製 ホール2個

左下写真のように3個目の穴がリアバンド部分に近いためにクラックが生じています。そのため名古屋で製造されたものは 2穴に修正されました。また、小倉製の銃も修繕されたのは名古屋だったのでストック変更の場合は2穴のものが装着されました。 それが右下の写真で名古屋造兵廠製を示すWの刻印があります。


東京造兵廠のマークですが、昭和 8年に小倉へ移転しましたのでそれ以降の製品マークは 東京/小倉 工廠と呼ばれます。
名古屋造兵廠の刻印

銃床側面ドレーン

写真12 東京小倉系は製造時期を問わず後部の切欠きはほぼ直角ですが、名古屋製は鈍角です。 これは四四式のみならず、すべての三八式系に共通した名古屋製の特徴です。

床尾板

写真14 A:槊杖のガタツキを抑える板バネは備えられていません。通常下端部内面に漢字(篆刻文字) が打刻されています、極初期の物は厚みが薄かったのですが、変形破損防止のため後に厚みを増しています。
写真13 小倉B・C:大略東京製と同じですが、槊杖のガタツキを抑える板バネが備えられました。 通常下端部内面に“セ”と打刻されています。
写真15 名古屋:大略小倉製と同じですが、内部のカラクリの固定はネジでは無く、リベット留となっています(射撃時に鎖骨を打撲したら痛そう)。 通常、下端部内面に多角形が打刻されています。

床尾板ネジ

写真23 東京:画像右側のピッチの細かいものが使用されていますが、これがいつ頃左側のものに変わった のかは不明です。私(鉄オタさん)の知る限りに於いては小倉・名古屋は左側のものです。

照星

写真30 A:ガードウィングは左右に張り出していません。極初期のものは、サイトガード上端水平な部分が 左右に張り出し厚くなっています。サイトガードの窓は台形です。

写真18 B・C小倉:ガードウィングは左右に張り出し幅が広くなっています。サイトガードの窓は台形です。 BとCとの間の形態に差違はみられません。

照門

写真22 三八式騎兵銃でみられる目盛りの横線が枠の内外で繋がったものは四四式には存在しません。

照門初期

写真19 A:裏面上端部に漢字(篆刻文字)が打刻されている、軸穴と上端の距離は画像の通り

照門中期

写真20 B: 裏面上端部に“セ”と打刻されている、軸穴と上端の距離は画像の通り

照門後期

写真21 C:照門を倒した状態での後端部の厚みは明らかに増している 小倉に於いては裏面上端部に“セ”と打刻されている

名古屋に於いては同部に多角形や“チ”が打刻されている


上帯

東京

写真24 A:(東京) 前後のネジ穴の間隔は狭い、ネジは銃を構えて右側の穴に切られている

小倉

写真25 B:(小倉) 左2ヶは後期右3ヶは中期、初期と比較するとネジ穴の間隔は漸次拡大している。

中期は初期同様に右側にネジが切られている。

後期は左に切られておりネジ穴長を稼ぐため左のネジ穴部は外側に突出している。


名古屋、小倉

写真26 C:(小倉・名古屋 比較) 名古屋と小倉では形状に差違が認められる

小倉:B角張っている、名古屋:A角が丸い 小倉:D角が丸い、名古屋:C角張っておりこの差違を製造時期の違いとみる向きもあるが 単に製造工廠の違いである


上帯ネジ

写真16 写真17

A:ネジはコルトSAA のように頭側に切られている

B:Aと同様ネジは頭側に切られているが若干長い

C:名古屋と小倉共にネジは先端部に切られているが、名古屋には以下の特徴がある。
ネジの頭と胴の移行部にテーパーがかかっている 頭の突出量が大きい


槊杖(クリーニング・ロッド)

写真27 槊杖は径に段差がある物とストレートのものが知られている 段差あり:四四式採用時からの形態であり何れの工廠で生産された ストレート:昭和16年以降に名古屋でのみ生産されたと推定される 上記の根拠としては以下が挙げられる

槊杖収納部

槊杖収納部の形態は

写真17 A:丸穴2ヶ
B・C:穴が3ヶ連なったダルマ型で非鉄金属(恐らく真鍮)のライナーが挿入されている
ライナーの奥にはスプリングが仕込まれており床尾板の板バネに挟まれた槊杖に ガタツキは生じない(画像:ライナー 参照)


セフティ形状(撃茎駐胛)

写真29 A:突起の小さな騎兵銃型(俗に言う中期型)突起部の後面にはチェッカリングは無い、 このタイプを 四四式固有のパーツと称する説もあるが単に東京製の騎兵銃のスタンダードタイプに過ぎない

B:突起部の後面にチェッカリング有り、角の丸め具合は軽度

C:Bと同等、名古屋製はチェッカリングの“キメ”が細かい(菱形の同心円の数が多い、の形態は 九九式にも引き継がれる)

小倉“イ”シリーズの最後10%と名古屋“ロ”シリーズの後半生産分はノッチの無い九九式に 類似した形状となる


銃口蓋

写真31
写真32_A 写真32_B 写真32_C
写真32_D 写真32_E

おわりに

写真33 このたび 鉄オタ様 より貴重な写真の数々をいただき四四式騎兵銃の事を書かせていただきました。 内容の説明文は鉄オタさまが書いたものを私なりに書き換えている部分もあります。 銃器研究家の方にとっては、違う意見もあるかもしれませんが、このページは鉄オタ様の見解によって 構成しています。何かご意見、情報がありましたら私maimai の方までお寄せください。

鉄オタ様、貴重な情報ありがとうございました。


想いで

写真34 写真35

わたくし maimai は、子供のころは小倉造兵廠跡地の近くに住んでいまして、右画像のど真ん中あたりに グランドが2個あるのですが、そこの小学校、中学校に通っていました。左写真のように、当時はまだ 建物などがたくさん残っていて、空き地で薬莢のようなものを拾って帰って親からメチャクチャ怒られた記憶があります。

当時小学校から見える建物にギロチンのようなでっかい機械があったのですが、子供心にあれは何を切るのだろうと 疑問に思っていたのですが、今から考えると鉄板を切断していた機械ではないかと思われます。

小学校の想いでは、池に落ちたり、鉄道事故を見たり、うんこ漏らしたり、校歌を覚えられなかったりと 情けないことばかりですが、なんとも懐かしく想い出します。