S&W No.3 陸軍採用

写真01 写真02

最初に金属カート式銃を米軍が採用したのは、S&W No.3 アメリカンだったそうです。 それまではコルトの60アーミーかな? 英語版の Wiki で調べましたが、コルトのSAA よりも先にS&W が採用されていたなんてぜんぜん知りませんでした。せっかく採用されたのですが、SW No.3 アメリカンは作りが繊細で、軍にはいまいち人気が無かったようです。

数年後にコルトのSAA も採用されましたので、このころはコルト、S&W 両者ともに米軍制式拳銃でした。 よってホルスターもどちらにも使えるようにとフラップのギボシ用の穴が2ヵ所開いていました。 それが1881ホルスターです。

上写真のようにコルトとS&W でフラップの止め穴が違います。まぁ、同じ穴でも止められないことは無いのですが 写真は書籍に倣ってみました。レプリカホルスターにレプリカ・ガンですので何とも言い難しです。


当時のS&W拳銃事情

このころの米国陸軍の採用拳銃とSW の状況を表にしてみました。 英語版のWiki の情報を参考にしています。

年代事 象備 考
1870SW No.3 American 陸軍採用44_American 口径
1873Colt SAA 陸軍採用45_Colt 口径
1875スコーフィールド限定採用45_Schofield 口径
1877SW New Model No.3 市場に登場44_Russian 口径

スコーフィールドは正式採用になったのかどうだか判りませんが、スコーフィールド少佐にも特許料が入ったそうなので やや怪しげです。また、スコーには、45コルト弾が使用できないのでだんだん使われなくなったようです。


購入したホルスター

写真03 レプリカホルスターは日本では売っていないようでしたので米国のオークション eBay にて購入。 54ドルくらいの本体に送料が20ドルくらい、合計11,000円くらいでした。

外 観

写真04 写真05 写真06

書籍や検索写真などほとんどが左腰用です。右手で斜めに拳銃を抜くのが普通だったのでしょうか。 それとも右手にサーベルかなんか持っていたからでしょうか?

レプリカホルスターは右腰用です。裏側のリベットは手抜きで2個しかありませんが、実物はほとんどの物が 3個から5個のリベットがあるようです。 書籍の図にあるように内側の穴がコルト用で外側がS&W 用です。


写真07 写真08

ホルスター自体は大きく作られているようで余裕でモデルガンが収まります。革も柔らかいです。 右写真の赤い参考書籍は、見てくれが非常に格好良い本で、日本のアマゾンでは4万くらいですがeBay では2万くらいです。 内容はモノクロ写真ばかりですが、図面などもあってそれなりに面白いです。


実物ホルスター写真

写真15 写真16

海外のネットオークションから取ってきた写真です。
左腰にぶら下げるものばかりです。


スコーフィールド拳銃
について

写真13 S&W No.3 拳銃のバレルロックがバレル側に付いていると二つ折りにする際に両手が必要なので、スコーフィールド少佐が 騎兵が馬上で片手で操作できるようにフレーム側にロック機構を設けたものです。また、その際にコルトSAA と同じく口径を45口径にも変更しました。
写真35 写真36

上は実銃の写真ですが、左写真はファーストモデル、右はバレルラッチの上端が飛び出なくなったセカンドタイプ。


スコーフィールド弾
について

写真09 写真10 スコーフィールド弾は45コルトに比べてケースが短いです。ジョージ・スコーフィールド少佐が軍に勧めた時に、軍からは 45コルト使用が指定されたらしいのですが、シリンダー長が長くなり大幅に設計をやり変えなくてはいけないので 45口径だが短いスコー弾を提示したようです。お兄さんが偉大な軍人であるジョン・スコーフィールド少将だったので数千丁ほど軍に 納入されましたが、軍隊に有り余る45コルト弾は長くて使用できないので、やがてスコーフィールド拳銃は使用されなくなったみたいです。

使われなくなり、軍から払い下げられたスコーフィールド拳銃は、もともとの7インチから5インチへと短銃身に切りつめられて、ウエルズ・ファーゴ運送会社の警備用に採用されました。ウエルズ・ファーゴ社は今では銀行になっています。開発したスコーフィールド少佐は、軍からスコーフィールド拳銃が払い下げられたころ何があったのか分かりませんが、自ら開発した拳銃を使って命を絶ったそうです。


写真11 上写真のウエルズ・ファーゴの写真には軍用検査刻印がグリップに見られます。写真はこちらのページから取ってきました。解説も面白いです。

https://collegehillarsenal.com/2nd-model-schofield-wells-fargo-marked

ウェルズファーゴのモデルガンはCAW さんが製品化していました。


SW No.3 拳銃について

写真12 SW No.3 拳銃はS&W 社の3番目の開発拳銃です。一番は22口径の小さなもの、2番はマルシンがモデルガンにしている 32口径のやや大きくなったリボルバー。そうしてもっと大きな44口径のNo.3 拳銃を開発しました。 以前の二つは、チップアップと言って上にバレルが開く形でしたが、No.3 では下向きに折れるトップブレイクになりました。

写真はトイガンで上からdenix No.3 アメリカン、マルシン No.2 アーミー、アドベン文鎮 No.1 拳銃。


44ラシアン弾について

写真14 sw社はアメリカ軍に多数は採用されなかったので、世界にその販売先を求めた結果ロシアが興味を持ち採用されました。 口径は威力を強めた44ラシアンで、この弾はのちの世の44スペシャル弾の元になりました。44スペシャルはやがてダーティハリーの使う44マグナムの元になりました。

また、この弾は弾頭がケースより小さいという現代に通じる初の製品であり、弾薬の歴史にその一歩を刻んでいます。 44アメリカンは、ヘンリーライフルのリムファイアをセンターファイアにしたようなもので、弾頭の径とケースの径は同じでした。弾頭の周りの溝にグリスが付いていて外部潤滑と言われます。それに対して44ラシアンはロシア側の要求でバージョンが上がると 弾頭の方がケースより小さくなり、ケース内の弾頭部にミゾが彫られグリスが入れられました。現在のキャスト弾のようになります。

したがってS&W No.3 アメリカンのシリンダーは、スッポンポンですが、ラシアンのシリンダーには、ショルダーが存在します。


写真37 写真38

写真は左がNo.3アメリカン・ファーストモデルで右はラシアン・セカンドモデルです。
右写真のシリンダー出口には弾頭用に狭くなったショルダー部が見られます。


実物写真

写真17

S&W No.3 メカの変遷

年代モデル解説備 考
1870 SW No.3 American 陸軍採用 図1st トリガーピンが細いのでフレームは一直線。 断面図

↑参考書

実銃写真

1871ロシア採用(図はセカンド) 図2nd トリガーピンが太くなったのでフレームが補強されている。バックストラップに膨らみが設置された。 実銃写真
1874ラシアン・サードモデル 図3rd エジェクター機構が変更されたのでピン位置が変わった。
ロシアのモデルはフロントサイトが一体型のようです。
断面図

実銃写真

部品図

1878 SW ニューモデル No.3 図New_model エジェクター機構が変更されたのでシュラウド部分が小さくなった。この機構で完成を見る。 断面図

実銃写真


その後のラシアン

写真26 1880年ごろからドイツのボーチャードやルガーで有名なDWM ローベ社がライセンス供与としてロシアのツーラ造兵廠 で製造がはじまり、その後 ナガンリボルバー に変わるまで生産がツーラで続けられました。

その後のNo.3 シリーズ

写真27 ニューモデルのエキストラクタ形式は完成型となり、やがて1884年ごろからダブルアクション機構を装備し 小口径化も果たし広く人気を博しました。

1896年発売のスイングアウト式のリボルバー、 32ハンドエジェクター に置き換わるまで製造販売は続けられました。


日本海軍採用

写真28 写真29

日本軍は1878年(明治11年)ごろからSW No.3 モデルを購入したようで、はじめはラシアンでそのうちニューモデルも購入しています。 上写真は左がラシアン・セカンドモデルで右はニューモデルです。どちらも海軍の錨マークが打刻されています。

写真30 六研のプラスチック無可動シリーズの一番型拳銃は、ニューモデルをモデルガン化しています。


おわりに

写真31 ホルスターの事を書いているうちにS&W No.3 の事の方が多くなっちゃいましたが、書いていて面白かったです。 写真は我が家のトップブレイクさんたち、左からマルシン輸出用亜鉛品、デニックス、ガスガン、六研製、最中庵製 です。金属ガンは こんな風 になっています。

オマケ

写真33 写真34 写真撮影しようとマットを敷いたらさっさとやってきて邪魔をする猫。